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ナラティブに学ぶこと

同じことを話すのでも、説明的に伝えるよりも物語で伝える方が伝わりやすいことがあります。

これが昨今「ストーリー」が注目されている理由でしょう。

ただ、「ストーリー」には広義と狭義があり、その使い分けが重要だと思っています。

狭義のストーリーは、「自分が登山をする」ような自分が主人公になるストーリーです。これは一次的経験(=自分が経験している)と呼ばれます。

広義のストーリーは、「誰かが登山をしている」ようなドキュメント的なストーリーです。これは、二次的経験(=自分が体験していないことを客観的に見ている)と呼ばれます。

西洋哲学者のリードは、「経験のための戦い」において「現代社会は二次的経験で溢れている」とし、一次的経験の重要性を説いています。

また、マイケル・ポランニーは、「事物を理解するのは、当の事物を眺めるからでなく、その中に棲みこむからだ」とし、これも一次的経験から物事が理解できるとしています。

ストーリーで学ぶといっても、

  1. 自分が主人公として没入して学ぶ
  2. ストーリーを見て第三者視点で学ぶ

 
では差があります。

この狭義のストーリーを抜き出して「ナラティブ」と呼べば、意味を区分できます。

「ナレーション」と同じ語源の言葉というと親近感がわくでしょうか。※ナラティブは色々な定義があります。

ポジショントークではありますが、
「ケースとビジネスゲームの違いはなんですか」
という問いに答えるには、この意味の区分が大切だと思っています。

ゲームはナラティブで、ケースはストーリーなのです。

余談ですが、東洋哲学では、その人が理解して(悟って)いるかは外部から見てもわからないと考えるそうです。

理解している人からも理解していない人からも言葉としては同じ言葉が出てきます。

結局、外部からはその人が実体験から理解したのか、誰かから聞いて理解したのかは判断できないのです。

これは体験学習を扱う研修事業者の私たちにとっては都合が悪い話です。

結果が外部から見て判断できなければ、それを導入する理由になりませんね。

ビジネスゲームなどで、こうしたナラティブな一次的経験をしても、理解したかは外からはわからず、講義型研修で単語だけを知っている人と見た目は変わらないのですよね。

だからといって、ストーリーを提供するのと、ナラティブを提供するのはイコールだとは思えません。

質がずいぶん違うことを理解しておくとよいと思います。

現代社会は耳年増が多く、一次的経験が圧倒的に不足しているのです。

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