状況認識力向上ツールの開発背景

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状況認識力向上ツールの開発背景

ビビビの微差カード

当社では、2017年より「ずっとも1」という新規事業を始めた。その開発時に、「知覚アプローチ」という独自の考え方を提唱し始めた。結果や行動だけではなく、思考プロセス(知覚・認知・判断)の特に「知覚」に着目して人材開発を行うことをそう命名したのだ。

2019年のHRサミットでは研修の「鍵」として知覚に注目したセミナーを開催し、100名以上のご応募をいただき、満席となった。「知覚」は堅苦しく感じる言葉ではあるが、当時から注目が集まっていたことが伺える。今回は、この知覚アプローチの延長線上にある「微差力」をゲームにした「ビビビの微差カード」の開発背景を書きたい。

なぜ「知覚アプローチ」を提唱したか

研修の仕事をしていると、研修の成果を常に考えさせられる。業績などの結果で見る人もいれば、行動が変わったか、考え方が変わったか、関係が変わったかで見る人もいる。この背景には、旧来からの「思考が変われば行動が変わり、行動が変われば結果が変わる」という線形のモデルと、ダニエル・キムの提唱した関係性の質→思考の質→行動の質→結果の質というサイクル2の認知が進んだためだと感じている。

さて、思考はどう育成するのだろうか。例えば、2000年代から「ロジカルシンキング」などの考え方の方法論に注目する人が増えた。ただ、私は「思考」を方法論だとする考えには違和感がある。ロジカルシンキングや思考の整理術を学んだとして、思考⇒行動というつながりが起きると思えないからだ。つまり、「考え方」の意味の取り違えが起きている。「思考の質」はロジカルシンキングのような「シンキング」系の研修でなんとかなるものではない。「思考」というキーワードに引っ張られて、「思考を学ぶ」はずが「○○シンキングを学ぶ」に置き換わっていないだろうか。

まず、「行動と結果の関係」という通り、結果の手前には原因となる「行動」がある。次に、行動の手前には「思考」がある。「思考する」→「行動する」という流れは理解しやすいだろう。

ただ、「考えすぎて動けない」ことがある通り、「考える」と「行動する」は必ずつながるとは言い切れない。「目的が分かれば行動する」という人もいるだろう。「目的を教えてもらうこと」と「考えること」は異なり、単に情報を受信しただけではないか。受信とて怪しい。「普通、あの指示をされたらこう動くでしょ」という動かない同僚へのぼやきもよく聞かれる。「思考」と「考えること」は似ているが少し違うように思うのである。

また「考える」とは何だろう。意識が変われば行動が変わるという人もいるが、意識とは何だろう。今回は「意識」まで扱うと大幅に範囲を超えてしまうので、「思考」に絞るが、これらを理解していこうと思ったら、「思考」を鮮明に理解する必要がある。だから、思考を分解することをスタート地点としたい。

知覚を理解する第一歩として「思考」を分解する

「知覚アプローチ」は、「知覚」に詳しい人ならすぐにわかるが、一般的かというとそうではない。多くの人にとっては、段階を踏みながら理解しなければならない概念だろう。「思考」について考えるという馴染みのないことをするからだ。ただ、知覚アプローチを理解するには、人の「思考」を理解しなければならないので、丁寧に説明を重ねたい。

考えないで動くことを「反射」という

人は思考する。思考を経て、人は行動を起こす。意識しているかいないかは別だ。意識していなくても、それは「思考」であり、「自動”思考”」と呼ばれることもある。逆に、思考を伴わない「反射」もある。脊髄反射や条件反射などのように刺激を受け取った際に、思考を経由せずに反応することがある。脊髄反射は危険を感じたときなどにでるもので先天的である。条件反射は後天的に獲得した反応だ。これらの反射は思考を経由していない。だから反射は行動とは言わないのだと思う。

思考の3ステップは「-ion」で終わる

次に、思考のステップを説明したい。最もシンプルなステップに「知覚」「認知」「判断」がある。英語では、パーセプション(perception)、コグニション(cognition)、ディシジョン(decision)という。ちなみに、行動はアクション(action)である。接尾辞が「-ion」なので、日本語よりも英語の方が覚えやすいかもしれない。

学問分野ごとにさまざまな枠組み・名称があるが、概ねこの三つに収斂されると考えておけばよい。それぞれが思考の一要素で、「知覚」「認知」「判断」が行動につながってくる。

知覚の手前にあるのは「イベント(出来事)」

人の思考は、周囲で何かが起こることから始まる。これをイベント(出来事)と呼んだり、トリガーと呼んだり、刺激と呼んだり、分野によってさまざまな呼称があるが、要するに何かが起きることから始まる。鳥の囀りでも、危機を知らせる警報でも、ぽつりと降る雨でも構わない。あらゆる出来事は、多くの場合、感覚器を通じて「知覚(perception)」される。(感覚器の機能が不全であったり、ノイズが入ることで知覚できないことはある。)

余談だが、知覚(perception)の動詞形はperceiveで「受け取る」という意味である。この単語であれば知っている人も多いのではないだろうか。Per-は、perfectとかpersuadeなどの接頭辞でもあり、全体を貫く、一貫する、貫いてコントロール下に置くような意味で理解している。だから、perceiveも単に受け取るのではなく、その上で自分のコントロール下に置く含意があると感じている。

知覚を更に分解する

知覚は「感覚器が捉えること」とは限らない

次は、「認知」と「判断」と行きたいところだが、もう少し知覚を詳しく見ていこう。更に分解するのかと驚く人もいるかもしれない。ただ、分解しないと、前述した「考えたのに動けない」「目的を伝えただけで動く人がいる」といった、思考と行動の間にあるゆらぎに答えがでない。知覚というと、「感覚器が捉えること」すなわち「五感」と表現をする人たちが多いように思う。一般に、五感3とは、視覚・嗅覚・聴覚・味覚・触覚などの「覚」で終わるものをいう。だが、私は知覚とは感覚器が捉えることだけではないと考えている。

知覚は「覚」なので、視覚や聴覚と同列である

五感は全て「覚」で終わる。これに違和感はないだろうか。「五覚」ではなく「五感」なのだ。そして、五感に「知覚」は入っていない。五感を見直してほしい。意識は、上記の感覚器に含まれていない。となると、「知覚とは感覚器が捉えること」という前提ががらがらと崩れていく。

五感という表現を用い、感覚器には「視覚」などがあると書いた4のはギリシアの哲学者のアリストテレスである。ただ、「覚」としてしまうと、「知覚」も感覚器と並列になってしまう。知覚は受信器官ではない。なので、これを理解しようと思ったら、西洋的な五感フレームだけでは説明しきれないため、東洋哲学的な整理をした方が良いと考えている。脚注に東洋哲学の「識・根・境5」の考え方も挙げておくので、興味があれば読んでほしい。

だから、「知覚=感覚器が捉えること」という定義は、覚が並列になるからおかしい。感覚器が捉えることだけにとどまらず、「それが何か」を識別・認識できること、その意味合いが理解できることといった心の働きまでが知覚に含まれると考えている。だから、学問分野によって知覚の定義には揺れがあることを承知の上で、本稿では研修設計の観点から知覚を、感覚のみならず、「感覚+識別・認識+意味理解」までを含めたものとする。

人は耳に入ったからといって知覚できているとは限らない

西洋人は虫の声を音として聞き取れないという話を聴いたことがあるだろう。西洋人は、虫の声、風、雨の音、小川のせせらぎを感覚器として捉えていたとしても、それが何なのかを自動的に無視してしまい、音としては捉えないそうだ。これは、虫の声を「意味ある情報」として処理せず、雑音として無視するフィルタが働くためだとされている。

西洋人だから起こるわけではない。日本人であっても、毎日同じことの繰り返しだと、慣れから見えていても認識できなくなることがある。例えば、壁に貼ってある会社の経営理念は見ているうちに認識できなくなっていくものだ。

さて、これは知覚できていると考えてよいのだろうか。耳に入っていても認識できていなければ知覚できていないのではないだろうか。

未知のものを知覚する仕組み-チベタンベルを例に-

見たことも想像したこともないものを前にしたときに、人はそれをどのように捉えるだろうか。私は、研修で「チベタンベル6」を用いることがある。まず、チベタンベルと聞いても、普通は何かわからないだろう。どこで切ったら良いのかすら怪しい。「チベットの」という意味で「チベタン」という。学校では学ばない単語だろう。しかし、チベタンがチベットのと分かったら、「チベタンベル」は「チベタン」と「ベル」で分けられ、「チベ」「タンベル」ではないと分かり、チベットのベルだと識別できる。これが「識別・認識」である。

次に、チベタンベルを見て、色や形などの見た目、触ってみての素材感、大きさ、音の響き、そうしたものから、聴診器なのか、楽器なのか、おもちゃなのか、仏具なのかなどの想像を働かせ、その上で「何のためのものか」という意味を理解する。これが「意味理解」である。

知覚とは「覚(さと)る」こと

感覚器で捉え、識別・認識を経て、意味理解をするところまでが知覚である。これを繰り返すことで短期記憶となっていく。つまり、「知覚」とは「覚」という文字がある通り、「覚(さと)る」ことなのである。

「上司」「部下」という概念が分からない新入社員がいたとしよう。識別・認識できないものをそのまま放置はできないから、馴染みのある「親」「子」、「先生」「生徒」といったものとのアナロジー(類推)で理解することがある。もちろん、親と先生は別物だから、このアナロジーは誤りであるが、このように識別までを含めて「知覚」ということもある。

知覚するための最重要なアプローチは「関心と注意」

そもそも認識されるには「関心・注意」が必要だ。関心・注意がない状態で、人に何かを認識させるのは困難だ。道行く人の相貌を全て覚えておくのが難しい7のと同じで、目立つ何かがなければ認識されない。

カラーバス効果をご存じかもしれない。カラーバス効果とは、「今日、出勤するときにオレンジのものをいくつ見ましたか」と聞かれても答えられないが、「明日、オレンジの数を数えてきてください」と言われれば意識できるというものである。

こうしたものを「選択的注意」という。注意とは、「意を注ぐ」と書く通り、能動的な活動である。人の力には限界があるから、全方向に注意を払い続けることはできない。

知覚したものの捉え方を認知という

さて、「認知」の話に移りたい。知覚と認知には重なる部分があり、明確な切り分けは難しいが、知覚した出来事をどう捉えるか。知覚を踏まえて解釈することが認知8とする。

若手に「事実と意見を切り分けろ」と指示することがある。ここでいう事実は、事実の認識であり、意見は事実の解釈である。ほかにも、知・情・意や空雨傘、ABC理論など類似のフレームワークは枚挙に暇がない。知覚と認知、判断のフレームワークは有用なのである。

知覚・認知を経て、人は物事を判断し、行動に移し、それが結果につながる。判断までが思考で、その後行うことが行動だ。「思考」を判断と考えると、冒頭に記載した「○○シンキング」と考えてしまいがちだが、思考と判断は異なる。その手前である「捉え方(認知)」とその手前にある「知覚」までをも扱うのが思考であり、「知覚アプローチ」なのである。

知覚アプローチのゲームでは「重要性認知」が変化する

知覚アプローチをご理解いただいたところで、それを踏まえた具体的な研修について書きたい。当社では、知覚アプローチのゲームとして、「それいけ!ソンタック」「段取りチキン」「ボスの品格」「IT’S TOO RATE」等を発表してきた。また、より古いが「成果の達人」も無意識を意識化できる優れた研修だ。

例えば、反復を通じて事実や状況を知覚することで、無反応であったり、見えてすらいなかったり、考えたこともなかった人たちが、「重要だ」と感じるようになり、変化が生じる。これを教育工学では「重要性認知9」が変化したという。

「成果の達人」の研究10でも、仕事をする上で重要と思うものが事前の調査では「努力」であったものが、事後の調査では「チームワーク」「バランス」といったコード名に変化した。これは重要性が知覚されたということである。

微妙な差に気づく力「微差力」

以前、遠藤功氏11のお話を伺う機会があり、「微差力」についてのお話を伺った。微差力は、微妙な差に気づく力を指す。例えば、営業場面で新人が全く気付かないような顧客の微々たる反応をベテランは敏感に察知できたといった場合を考えてみよう。両者は「同じものを見た」つまり感覚器は同じように捉えた(はず)だが、識別認識・意味理解が異なっているのである。

専門家でも気づけないのはスキーマの固定化-ゴリラ実験-

一方で、放射線技師に肺のX線写真を見せ、中央にゴリラの画像を埋め込んだ実験がある。放射線技師なら全員がゴリラに気づくだろうと思うが、約83%が気づかなかったそうである。放射線技師は有資格者で、全員が専門性を持つが、「ありえない」と思っているものを見抜くことはできないという実例である。逆に、素人の方がゴリラに気づけるかもしれない。

ここから言えることは数多くある。まず、経験には「ありえないと思うことを無意識に排除する」作用がある。これはある種のバイアスであり、スキーマ(枠組み)の固定化と言われる。経験によって微差に鋭敏になる一方で全体の異常に気付きにくくなる。

次に、同じ情報を見てもどう意味づけるかは異なる。重要なのは、感覚器官が捉えたかどうかではなく、どのように情報を識別し、意味づけしたかだ。ベテランはパターンで物事を認識するため、既知の情報には異常に強い一方、幅が狭くなるためにパターン外の出来事を受け容れる柔軟さが減る。よく「新人だから気づける」ということがあるが、それはまさにこういうことなのである。

「状況認識力」は「微差力」の応用

こうしたことから、当社では、写真を見せて「異常」に気づくゲームの開発を進めていた。あいにく、その際には、2か月に1度コンテンツ開発をするというハードスケジュールなため、適切な「写真」を撮る時間的余裕がなかった。このため、開発完了には至らなかった。2017年の開発メモは以下である。上述の内容とほとんど同じであることに驚かされる。

クライアントにご招待いただき、遠藤功先生のセミナーに参加させていただいた際に、「微差力」という言葉を聞いた。微差力とは、語義から考えるに、微妙な差を弁別する能力だ。微妙(subtlety)な差を弁別するというと、よく例示されるのが、虹の色数の話である。

虹の色が七色というのは、万国共通ではない。日本ではかつて五色とされていたものが海外との接点の増加によりアイザック・ニュートンの考えが導入され、七色に是正されている。沖縄では二色だそうだ。

区別が意味を持たない世界観の中では、微妙な差に気づくことは評価されない。ただ、現在は非常に複雑化した社会である。いかに微妙な差に気づけるかが成果の差につながってくるだろう。

以前、営業同行をしたときの話だが、「お客さんの様子に違和感があったところあった?」と聞いたところ、「特にありません」と言われたのだが、私にとっては違和感だらけの商談だった。

熟達者研究では、初心者(ノービス)と熟達者の間には大きな隔たりがあり、経験から獲得した実践知がその差を作っていると言われる。この獲得期間には10年かかるそうだ。初心者と熟達者の最大の違いは視点の違いである。見ているところが異なるため、差に気づけるのである。初心者は、何を見れば良いのかがわからないため、ありのままに見ることしかできない。それはある意味では初心者の価値でもあるが、効率が良いとはいえない。

熟達には実践知が必要で、それは実務の回転数によってもたらされるが、実はビジネスゲームは擬似的な業務の高速回転効果があるといわれる。ビジネスゲームを繰り返すことで、熟達者の経験が短期間で初心者に転移できるのである。(これについては、学習転移の研究に詳しい)では、何を転移するかというと、熟達者の視点である。視点とは、幅の広い視野、高みからものを見る視座という2つの掛け算の中で、どこを論点とするかである。この熟達者の視点を身につけることで、初心者であっても「ここに注目すれば良い」がわかるのである。これは時には、「気付き」という言葉でラベルを貼られたり、「リスク発見」という言葉で語られたりもする。

アンコンシャスバイアスとは無意識ではなく無自覚のこと

次に、類似の取り組みをしたのは「ボスの品格」における「アンコンシャスバイアス」の深堀である。雑誌「企業と人材」においての連載において、第7回に「アンコンシャスバイアスを紐解く」と題し、流行語であるアンコンシャスバイアスの整理を試みた。

アンコンシャスとは「コンシャス」に「アン」という否定接頭辞がついたもので、「コンシャスではない」という意味だ。では、コンシャスとは何かというと「意識」と直訳され、これがアンがつくことで「無意識」と理解されている。ただ、私は、無意識を「知覚できているが認知できていないこと」と整理して、それを「無自覚」と表現した。「覚」が入っていることが分かるだろう。

また、アンコンシャスバイアスとは、単なる「バイアス」ではなくわざわざ「アンコンシャス」と範囲を限定することから、元々の「コンシャスバイアス」との対比が含意されている。例えば、一般的に男性よりも女性の方が腕力が弱い、男性よりも女性の方が背が低いといったものが「コンシャスバイアス(自覚できるもの)」の例である。腕力や身長は自覚可能である。

逆にアンコンシャスバイアスは、無自覚のうちに原因と結果が紐づいてしまうものだ。例えば、「外国人が職場にいると大変だ」、「若者は飲み会に参加しない」、「Z世代はITに詳しい」といったもの12がある。また、類似の概念であるステレオタイプ、偏見、差別との比較も行ったので、興味があれば脚注13を見てほしい。

では、アンコンシャスバイアスを顕在化させるゲームはどのようなゲームか。実は、当社はアンコンシャスバイアスをテーマにしたゲームは作るつもりがない。心理学用語をテーマにした研修は、現場感がなく、伝わらないからだ。だから、当社では「ハラスメント」というテーマでゲーム開発14をした。これは広義にはアンコンシャスバイアスの研修なのだ。

「私だけは大丈夫」が危ない-正常性バイアスに関するご相談

2023年頃、ある化学メーカーの工場から「正常性バイアス(Normalcy Bias)」に関するご相談を頂いた。正常性バイアスも心理学用語である。上述の通り、これをこのまま現場に転移しようと思ってもアンコンシャスバイアスと同じ理由で難しい。

その際に考えたのは、研修で扱う「バイアス」を誤りとしてではなく、人が瞬時に判断するための本能的な仕組みとして捉えることだった。熟練した判断とは、考えずに行えるようになることである。一方で非常時にはその本能が「正常性バイアス」として働き、「自分は大丈夫」と思い込む危険がある。この現象を否定的にではなく、人間の自然な心理として理解し、「いつもと違う」に気づく力、つまり知覚・認知・判断の三段階の思考を鍛えることが重要なのである。

「バイアス」は必ずしも悪いものではない

ここまで「バイアス」という言葉を説明なく連呼してきた。評価者研修などで「バイアス」は必ず登場するので説明は後回しにしてきた。バイアスとは「偏り」という意味で、さまざまなバイアスがある。ハロー(後光)効果や寛大化傾向、厳格化傾向といったものが有名だ。偏りを意識しておかないと「つい」甘く評価したり、厳しくしたりといったことが起きてしまう。悪い結果につながるので、バイアスは悪いものと思われがちだ。

しかし、バイアスは、人が生きていく上で必要なものでもある。熟達者はすぐに判断を下せるのが熟達者たる所以である。それが崩れたらどうなるか。例えば、ライオンが近づいてきているときに「なんであのライオンはこちらに近づいてきているんだろうなぁ」とゆっくり考えていたら餌になってしまうから、人は考えずにぱっと判断するようにプログラムされており、これを本能という。バイアスのメリットはそうしたところにあり、バイアスを捨てて深く考えるのは本能と逆らうことなのだ。

バイアスがあることで判断が早くなり、エネルギーを使わずに直感的に意思決定ができるようになる。また、経験を積めば積むほど、早く判断できるようになっていく。仕事に熟練すると、息をするように難しいことをこなしていくと言われるが、それは考えずにできることが増えていくからともいえる。早い判断が熟練したプロの判断であるとするならば、ちょっとしたことで逡巡することは未熟の現れとも考え得るのだ。こうした考え方が支配的な職場(職人的な職場が多いかもしれない)では、「待つ」「考える」「落ち着く」といったことが是とされないだろう。そうした職場ではバイアスはむしろ奨励15されているともいえる。

「正常」とみなすバイアスの是非

一方、重大な意思決定や戦略にはバイアスに捉われず熟考が求められ、いつもと異なる状況に陥った時には「冷静になる」ことが必要だと私たちは分かっている。さて、こうした二つの側面を考えたときにバイアスは果たして悪いものなのだろうか。

その答えは「場面による」だ。通常業務を行うときには、バイアスが働いていた方が良い。しかし、非常時にはバイアスをなくせ。人は複数のルールが与えられると動きにくくなり、こういった本能に逆らう思考を処理するのは簡単ではない。

だから「正常性バイアス」が働いてしまうのだ。正常性バイアスは、良くない情報を「正常」と考えてしまうことで、「自分には起きるはずがない」「まだいける」「前回も大丈夫だったから今回も大丈夫」といったもののことだ。人はちょっとしたことで動揺していたら生活していけないから、ある程度までは「正常」とみなす心の働きがあって当然である。だから、研修でこの問題を取り扱うのは非常に難しい。本能に逆らうからだ。

正常性バイアスを研修でどう学ぶか

上述の工場のご担当者様から「事故が起きている原因を調査したところ、ほとんどが思い込みだった」というお話をいただいた。原因分析したところ、「正常性バイアス」が働いていて、それをなんとかしたい。ただ、バイアスを把握する研修は世の中に存在しないというお話があった。

前置きが非常に長くなったが、この話を説明するには、ここまで説明してきた「バイアス」「アンコンシャスバイアス」などの理解が必要なのだ。正常性バイアスは、アンコンシャスバイアスの一つに区分される。アンコンシャスバイアスを測定する「IATテスト」は有名だが、アンコンシャスバイアス全般に関して測定するもので、正常性バイアスだけに特化した内容は知る限り存在しない。そもそも、バイアスの測定は難しいもので、測定されていると意識した瞬間に是正できてしまうので、正常性バイアスを測定する方法は現実的にあり得ない。

では、正常性バイアスをどう考えていけばよいか。まず、正常性バイアスが働かなかった状態を理想の状態と仮定し、現実の状態との差異を見る。そして、その差分を「微差」に気づけていることとする。微差に気づけると、以下のステップを踏んでいくことになる。「いつもと同じ」ではなく、なんらかの出来事が起きた際に、人は以下のように考える。

  1. いつもと違うと気づく(知覚)
  2. 危ないかもと感じる(認知)
  3. 報告すべきと思う(判断)
  4. 報告する(行動)

こうしたメカニズムがある中で焦点を絞っていくと正常性バイアスの研修が出来得るのだ。もう少し絞り込んでいくと、④はアサーティブコミュニケーションやホウレンソウでカバーできるが、①②③は思考だ。このあたりを学ぶことが遠回りではあるが、正常性バイアスを学ぶことにつながる。

ノンテクニカルスキルとしてトレーニングする

このご相談があった当時は、この辺りを議論し、ご紹介していたが、振り返ると、「知覚アプローチ」そのものである。同時にノンテクニカルスキルの1つ目の要素でもある「状況認識力」とも共通するのだ。

状況認識も研修設計が難しいものだ。先ほど、「ある程度までは「正常」とみなす心の働き」と書いたが、この「ある程度」が曲者で、どの程度が正常なのかが人によって全く違う。この違いについては、バイアスに関するゲームである「ボスの品格」や「IT’S TOO RATE」などで実現してきた。このため、ある工場を見学させていただいた際に、製造現場の事故防止のトレーニングの一つとして手法を紹介した。その際、危険予知トレーニングとの類似性を感じたため、「危険予知トレーニングとは何か」というコラムを書いた。

危険予知は、知覚と認知と判断の3ステップに分かれる

詳しくはコラムに譲るが、危険予知とは、具体的な活動を行うための「思考活動」であり、思考活動と同じように知覚・認知・判断の3ステップに分かれる。焦げ臭い、ズレている、歪んでいる、変色しているといったことに気づくのが知覚。同じものを見ても、それを危険と捉えるかどうかは人それぞれで、ここが認知。そして、「このままだと事故になる、まずは機械を止めなければ」と予測して手を打つのが判断である。よく「気づいていた(=知覚していた)が危ないと思わなかった(=認知)ので言わなかった(=判断)」ということがあるが、危ないと思わないのは「認知」の話である。

危険を知覚するための素材には、イラストが使われることが多いが、ほかにテキスト・写真・動画・現場(現実)がある。テキストは抽象度が高い一方で情報量が少なく、現場は具体的な一方で情報量が多い。イラストは、写真から趣旨にそぐわない情報を捨象したもので、意図が明確になる。私たちがゲームのカードでイラストを多用するのはこうした事情がある。

8番出口は状況認識トレーニングだった

1年以上前の話だが、メンバーから「8番出口というゲームが面白い」と言われたので、やってみた。映画にもなったので、ご存じの方も多いだろう。8番出口は、異変に気づいたらUターンする。それを繰り返すと出口の番号の数字が上がっていき、8番出口から逃げるだけのシンプルなゲームで、異変を見落とすとゲームがゼロリセットされる。異変といっても、誰でも分かるような異変もあれば、意識しないと気づかないような異変がある。

何度かやってみて、失敗を繰り返しながらクリアしたあとに、攻略サイトを見てみた。攻略サイトには異変のリストが書いてある。攻略サイトを見て、「これが起きる」とわかっていれば気づけたかもしれないが、言われなければ気づけないものもあった。

前述した熟達者(expert)研究では、熟達者とノービス(新人)は見ているところが違うと書いた。以前、「視線」の研究者と話した際にも運転の際の視線はベテランと免許取り立てでは違うとのことだった。

ここで言えることは、まずは知識(経験も含む)だということだ。ぼんやりみていて気付けることは稀だ。だから、よくあるパターンを学ぶのだ。現場で学ぶのでは命に関わるような業態ではOff-JTが手厚いのもそういうことだろう。「あたり」をつける力には価値があり、その基本は知識(経験も含む)なのだ。

だから、「目の付け所」を変化させる状況認識トレーニングには高い価値がある。例えば、Identikというゲームは、イラストを見て、そこに描かれていることを言語化させる点が面白いのだが、それがまさに状況認識のトレーニングになる。

では、どんなゲームになりうるか

ここまでに書いた通り、アンコンシャスバイアスはそのまま研修しても伝わらない。なので、何らかのテーマに落とし込む必要がある。製造現場の場合は、「危険予知」というテーマ設定がふさわしい。一般社員だと広い意味での「問題解決」や「業務改善」になるだろうか。

冒頭で、「ずっとも」シリーズについて書いたが、「ずっとも」シリーズでは、ゲームが徐々に複雑化していく問題を抱えていた。コロナ禍後にシリーズのやり残しを消化するために「シンプル」に意識を向け、「聴衆力」、「リア王」、「ボスは貧弱」、「ふぞろいな客人たち」を開発した。これらは、かつて(2020年以前)の私たちであれば開発しなかったツールである。特に、バイアスを扱う「ボスは貧弱」では、さまざまな事例を作りこんだ上で、最終的に参加者が判断する以上「どんな事例でも構わない」となったのは大いなる転回だった。

ゲームは「構築型の学習」と言われるが、ある意味で「構築」を手放したとすらいえる。バイアスのような個人の捉え方が影響するものは、素材となる事例さえあればある程度機能する。だから、今回の開発では「事例」のみを素材とし、そこに「ルール」を付与する設計とした。当社がいつも苦労しているのは、既存のゲームの時間短縮である。であれば、逆転の発想で、短い時間のものを積み上げる作り方にすればよいではないか。そう転回したのだ。

ゲームのルールを素材から構成する

そうした理由から、本開発では、シンプルなルール・選べるルールを意図して開発を進めた。ルールは6種あり、各ルールは、時間・人数に応じて回数を調整できる。最終的に、お客さまが使うルールは一つに絞られるだろうが、どのようなルールを選びたいかも「好み」によるところがあるので、私たちの中での「標準」を「ビビビの微差カード」とし、お客さまの現場に合わせて素材やルールを選ぶカスタマイズにも対応している。

なお、ビビビの微差カードでは、正解を当てることよりも、判断の違いや、その背景にある考え方を言語化することを重視している。同じ場面を見ても、問題だと思う点そのものがズレているのか、問題だと思う度合いがズレているのか。そのズレに気づくことが、「いつもと違う」に気づく微差力の第一歩なのである。

注

1「ずっともっていられる」を掲げ、2ヶ月に一度ゲーム研修が届くサブスクリプションサービス。

2成功循環モデル。ワークショップ系の方々が熱愛するフレームワーク。

3最近は「感覚分類」といって、20の「覚」に細分化されて分類されているそうだが、多すぎて覚えられない。まずは五感と捉えておけばよい。要するに「感覚」のことである。

4もちろん、アリストテレスが漢字を使っていたわけはない。

5東洋哲学では、「識・根・境」というフレームワークがある。意識とは「意」と「識」を加えたものなので、識の一種だ。識は心の働きのことで、「眼識、耳識、鼻識、舌識、身識」がある。これに「意識」を加えたものが「六識」なのである。感覚器そのものは心の働きではないので、識を取り除く。「眼、耳、鼻、舌、身、意」これを「六根」と呼ぶ。根が受け止める外界の「トリガー」を「色・声・香・味・触・法」といい、これを「六境」という。人間の外の世界との「境」で「色・声・香・味・触・法」というインプットがあり、それを人間の「根」という「眼、耳、鼻、舌、身、意」が受け止め、そして、「眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識」という心の働きになる。

6聴き慣れない音がでるので、騒がしい状態が静かになる。五月蠅くなりがちな動的研修では欠かせない。

7逆に、全部を記憶する超記憶症候群は忘れることができない疾患の一つである。

8本稿でいう「認知」は、知覚した情報を解釈・理解する心の働き、「認識」は意識的に気づいている状態を指す。

9重要性認知は「認知」とついているが、英語にすると「perceived importance」なので、「重要性知覚」とするのが正しいだろう。

10詳細は、人材開発研究大全(東京大学出版会)15章P391(福山・高橋・中原)を確認してほしい。

11遠藤氏は、コンサルティング会社のローランドベルガーのコンサルタントで「現場力」の著者として知られる。

12皮肉として、「アンコンシャスバイアスの研修はやるべきだ」も例示した。

13「シニアは運転で事故が多い」という「ステレオタイプ」は「シニアが運転すると危険だから止めるべきだ」という「偏見」になり、それを健康なシニアに押し付けると「差別」になる。逆に「シニアは優しい」もポジティブな偏見になるだろう。ステレオタイプは認知、偏見は判断、差別は行動と対応している。アンコンシャスバイアスは、ステレオタイプ・偏見・行動を含む幅広い語彙ということになるのだ。アンコンシャスバイアスが流行しているのは、偏りを自覚できない状態から自覚できる状態に橋渡しをすることに注目が集まっているからなのである。

14「ボスの品格」「ボスは貧弱」「ふぞろいな客人たち」などのゲーム群。

15生産性向上のために、「少ない時間で多くの成果」を求める職場で「立ち止まる」教育をするのは、二重縛り(ダブルバインド)があるため、丁寧に説明しないと行動不能に陥ることがある。

状況認識力を学ぶ「ビビビの微差カード」

「危険予知トレーニング」とは何か?

現場で使われる「ノンテクニカルスキル」とはどんなスキルか?

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